FC2ブログ
2019.07.  12345678910111213141516171819202122232425262728293031 2019.09.

利用規約・免責事項(必読)

天国と地獄

今、地獄という絵本が売れに売れているらしい。

内容は単純にこういう悪い事をした人間はこういう地獄に落ちて苦しみ続ける事になると
おどろおどろしい挿絵と共に紹介されるだけなんやけど、
それを読んだ子供達が恐怖のあまり素直に親の言う事を聞くようになるという事で売れてるらしい。

つまり脅しによる教育なんやけど、昔から言い伝えられてきた天国や地獄の概念そのものがある意味脅しである事を考えると
昔からそうでもしないと人間は悪事を働きがちだったのかも知れない。

蟻について日記に書いたけど、もし本当に天国や地獄があったなら、俺は確実に地獄行きや。

俺は数多くの命を奪ってきた。
子供の頃なんて最悪で巣から出てくる蟻を次々石で潰したり、トンボの頭を指で弾き飛ばしたり…
自分でも何故そんな残酷な事を平気でしていたのか解らないけど、
子供のする事は時として残酷や…後悔の念と共にそういう記憶も蘇ってくる。

やはりどう考えても地獄行きや。

この天国や地獄という概念、あながち迷信や言い伝えではないかも知れないと思う事もたまにある。

宗教にかかわらず世界中で天国や地獄という概念が存在する事が不思議と言えば不思議やねんな。

臨死体験なんてのも聞くし科学的に何もかもが全て解明できてる訳やないから可能性としては存在していても不思議やない。

まぁまだ1回も死んだ覚えが無いもんやから、ほんまに謎なんやけどな(笑)

ただ、1つ可能性としては、先に書いたような後悔の念が死ぬ間際に脳裏に浮かんで
朦朧とする意識の中でそれが地獄という形になって脳内で映像化されるなんてのは無い話ではないなと思っていたりする。

後悔の無い大人なんて世の中殆ど存在しないとは思うけど、そんなことを考えると
後悔が少しでも少ない生き方をしたいものやと思わずにはいられない。


貴方はもし天国や地獄が存在したなら天国に行けそうですか?

それともやはり…。

スポンサーサイト

( 2012.06.03 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:1 )

今年も台所に蟻が来始めた。

衛生的にも決して良くない上に建物も傷めるから、やむを得ず毒餌で巣ごと丸ごと全滅させる薬品を使うんやけど、
俺は毎回めっちゃ心が痛い。

彼らを観てると勤勉に黙々と働いていて仲間同士でコミュニケーションを取りながら一生懸命巣に餌を運んでいる。

蟻の場合は女王蟻が卵を産んで生まれた子達で働き蟻は全て雌。
つまり全員姉妹やねんな。

その働き者達が何も知らずに毒餌を巣に持ち帰り子供から女王蟻に至るまで全員毒殺されてしまう…。

俺ら人間に置き換えて考えるとこんな悲惨な話は無い。

我が家族の為に食料を調達したら、それに毒物が混入されていて自分はもちろん一族郎党全員苦しんで死んでいくんやから…。

彼らは害虫である面もあるけど一面では益虫でもあり、彼らがいるから自然界に腐敗した死骸が溢れる事無く自然な形で土に戻っていくねんな。

こんな事気にする方がどうかしてるって思うかも知れないし、ゴキブリやムカデなどもお前は平気で殺すだろ?って言われるかも知れない。

何より日々命のあったものを口にして生きてるんやから、この感情は矛盾した感情なのは確かや。

けど、極力虫一匹でも無意味には殺したくないと思うことは俺は間違ってるとは思わない。


いつも思うんやけど、そのまま人間に置き換えて考えると判りやすい。

小さな生き物達は殺虫剤を手にした俺の判断1つで自分の命が救われるか殺害されるかが決まる。

もし俺が虫だったなら、その気紛れな人間の判断で大きく運命を左右されるということになる。

だから、俺は気づいたら極力虫は踏まないように気をつけるし、何もして来ない無害な生き物は極力殺さないようにしている。

今は偶々人間を捕食したりする動物が存在しないし、人間を害のある生き物だとか無害な生き物だとか
勝手な価値観で決めつけて殺害してくる生物が他に存在しないけど、
もし、人間以上の知恵を持つ強力な生物がいたら、途端に俺らは人間にとっての蟻のような扱いを受ける事になりかねないんだよな。

そんなことを考えながら、一昨日台所に毒餌を設置した。

当然ながら見る見るうちに蟻の姿は台所から消えた。


やはり心が痛かった…。

蟻はもっとつらかったはずなのに…。


( 2012.05.30 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:1 )
責任の取り方

世の中では、日々、取り返しのつかない事が多々起きている。

そういう時にその責任者はどう責任を取るべきなんやろう?


土下座?

涙を流して謝罪?

補償金を支払う?

今後繰り返さない為の対策を立てる?

或いは職を辞するとか一生を捧げるとかやろうか?

恐らくどれも無駄ではないにせよ何をしても叩かれ続ける事には変わりないと思う。


何故なら最初に書いたようにそれは取り返しのつかない事だから。


武士は取り返しのつかない事をすると腹を斬りその命と共に責任の追求からも逃れた。

現代に於いては腹を斬る訳にもいかない。

その責任者はずっと責任を追求され続ける。


けど、本当にそれで良いのかな?自業自得で片付けて良いのかな?


取り返しのつかない事はそれを起こさないようにするしかない。
取り返しのつかない事を起こしてしまえば、もう終わりというのはあまりにも惨い気がする。

理想的な責任の取り方とはいったいどのような方法だろう?


( 2012.02.26 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:2 ) ( TRACKBACK:1 )
気を許す

俺は結構、人に遠慮無く言いたい放題言う人が好きや。

もちろん限界はあるんやけど少しくらいワガママを言われてもむしろ嬉しいくらい。

…と言ってもMっ気があるとかでは断じて無く(笑)、そこにはそれをこちらに言ってこれるだけの信頼感があっての事だと思うからや。

ワガママ言われたり、ボロクソに欠点を指摘してきたり、そういう事を言って来る相手とは
もう既にそれだけの信頼関係が築かれてると思うねんな。

そして、そういう人は生涯信用出来る…と思う(まだ生涯の1/3~半分くらいしか生きてないから断言はしないけどね)。


もちろんだからと言って、いつも感情的に喧嘩ばかりするのは決して良くないし、
親しき仲にも礼儀有りで限度があるとは思う。

どんなに親しくても決して言ってはいけない言葉ややってはいけない事というのもある。

当然ながら信頼関係も何も無いのに初対面で言いたい放題言われたら、そりゃあちょっと失礼やろ?とも思う。

それに、そもそも心から穏やかで友好的で好意的な人もいるから、
ワガママも口にせず、常に褒めてくれるような人が信用出来ないという話でもない。

中には本当に優しい良い人もたくさんいるからね。

ただ、経験上、遠慮無く何でも話してくる人は先ず信用して良い相手だと思っている。


逆にいまひとつ信用出来ない人というのもいる。

例えばこちらをあまり知らないはずなのに男女問わず表面だけで近づいてくる人は
大きく分けるとほんまに直感的に気に入ってくれた人と、ただ気の多い人に分かれる。

ただ気の多い人ってのはだいたいがこちらが最初人見知りして素っ気ないと

『はい次~』

って感じで次に脈がありそうな人を探し始める事が多い。

ある意味合理的で時間に無駄が無い人達やけどそういう人とはとても一生ものの関係は築けそうにない。


気を許せそうな相手…
皆はどんな基準で判断してるかな?

俺の中では無言の時間が怖くない人というのも結構重要な要素だったりするし、
要は自然な俺でいられるかどうかが長いつき合いが出来る相手かどうかの境目なのかもな。


( 2012.02.26 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:2 ) ( TRACKBACK:1 )
母方の叔父

俺はまだ大学生くらいの頃に図らずも母方の叔父と原発について半ば感情的になりつつも話し合った事がある。

半ば感情的になりながらやから話し合いとは言えない程度のものだったかも知れないけど、
まさに震災後に世間で議論されている事とほぼ同じような内容を事前に話していた事をある意味では誇りに思う。


叔父は幼い頃から俺を可愛がってくれて、無条件で可愛がってくれた祖父母が亡くなってしまった今、
家族や親戚を見渡しても俺の事を本当に真剣に考えてくれる数少ない人の一人や。

男気いっぱいで九州男児バリバリだから、たまに

『それはちょっと無茶苦茶だよ(..;)』

って思う事もあるけど、
時に厳しく俺の甘さを叱ってくれるありがたい存在や。


最近ではあまりにも俺が理屈に走るし結局2人共疲れ切ってしまって答えが出ないから議論は避けるようになったものの、
当時はエアコンをつけるかつけないかって話から、
ゲーム機が家庭におけるネット環境の中核になるかならないかとか、
携帯電話についてなど、いろいろな話に時間を割いて付き合ってくれた事が
今もありがたい思い出になっている。

なかなかそんな大人は俺の周りにはいなかったんだよな。

たまにぶつかる事もあるけど、俺にとっては叔父は大切で尊敬して止まない存在や。


そんな叔父とかなり前に原子力発電の賛否について議論していた。

立場は当然賛成と反対に分かれ俺は反対側。
叔父は政策や経済、安全対策を鑑みた上で賛成側だった。

当時の叔父は原子力発電所を見学したりして相当に念入りに安全対策が為されている事や
原子力発電所を利用していかないと日本の経済や生活が成り立たない事などを主張していた。

当時の俺の意見は極論だったけど人間の創ったものに絶対に壊れないものなど無いという事とか、
仮に電力が足りなくても人類は電気の無い時代にもちゃんと生活していたんやから
原子力が無いと文明が成り立たないと言うなら文明なんて後退したって良いという主張だった。

今思うと俺の主張は幼稚な感は否めないもののある面では間違ってなかったと思うし、
叔父の言っていた事も原子力発電所の安全性以外は正しかった。

九州電力はやらせまで使って世論操作などをしていた訳やから
叔父が当時原子力発電所の安全性を信じていたのも無理も無いと思う。


たまたま福島で事故が起きて

『ほら俺が言った通りやんか』

と事故後の今になって叔父を責め立てようとかそういう次元の低い話やなく、
事故が起きてから今ようやくテレビなどで盛んに議論されている事を
事前に叔父と話し合えていた事をありがたかったなって今つくづく感じるねんな。

何年も前に話し合っておいた話だから、今の世の中の議論をそれぞれの立場で客観的に観られる。


未来に向けて世の中には難しい問題が山積している。

日々の生活に一生懸命でなかなか真剣にそれら様々な問題について語り合う機会は無いと思うけど、
皆さんの周りに、もし俺にとっての叔父のような存在の人がいるならば、
たまには未来について恨みっこ無しで熱く語り合ってみるのも良いかも知れない。

そういう経験が自分の考え方をより深いものしていってくれると思うから。


( 2012.02.26 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:2 ) ( TRACKBACK:1 )