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震災の様子(長文)

東日本大震災以降、様々思う事はある。
震災に関係する事も関係無い事も色々とね。


俺は日頃日記にしようかな?って思う事があると携帯のメールに書きかけ保存してるんやけど、かなりの件数になってる。

そやけど、震災関連の日記をアップしようとまで思えなかった。


あのような時に下手な知識で下手な情報は発信出来ないし、
自分だけの一方的な発想は誰かを傷つける可能性もある。
何か悩みがあったとしてもマイナス思考の事はアップしたくない。

そんな事をいろいろ考えてたら何もアップ出来なかったんだよな。

ただ、当時の様子を文字にして残しておいた方が良いのかな?とも思うので
そろそろ俺が体験した震災を記しておこうかと思う。

大津波が襲ってきた地域に比べたら幸い被害は少なかったけど、震災前後の様子をそのまま記してみる。

震災の事はもう見たくないという人は無理に読まないでね。


以下が俺の震災経験の概要です。

それは動物病院で愛猫のトリミングをお願いし一旦家に帰ってきてテレビを付けて間もなくの事だった。

携帯から聞き慣れない着信音がして、

“緊急地震速報
宮城沖で地震発生
強い揺れに備えて下さい(気象庁)”

の短い文章。


突然の事で内容を理解するのに一瞬間を置いたけど、すぐに理解し背後の食器棚から離れた。

次の瞬間初期微動が始まって、すぐに大きな横揺れが始まった。

間もなくテレビから緊急地震速報のニュースが聞こえてくる。

さっきまで背後にあった食器棚から食器が落ちて割れる音がする。

今までも震度6クラスの地震なら何度も経験してきたから、揺れがそれほどでもなさそうな事に安心したけど、
テレビではけたたましい声で仙台で震度7を記録しているとか大津波警報が出ている事が報じられている。

暫くすると停電しテレビも消えてしまった。

それにしても揺れてる時間が長い。
普通ならそろそろ収まる頃なのに揺れが止まらない。

揺れのピークは越えたかなって雰囲気の揺れ方になったので、まだ揺れてだけど
とりあえず家族を始めとした一部の人にメールして無事を知らせた。
メールを送り終えてもまだ揺れていた。

感覚的に5分は揺れていたかも知れない。
こんなに長い地震は初めてで、
『これほんまに地震か?』
って思うほどだった。


仙台が震度7…大阪で経験した阪神淡路大震災の惨状が頭をよぎる。
しかもまだ日中だから、容易に大きな災害になる事が想像出来た。
…実際には大津波で想像を遥かに越えた被害になる事はまだ知らない。


情報が無いから、携帯のワンセグを起動して、ニュースを見るともう既に津波の第1波が襲ってきているところがあった。

想像以上に津波の到達が速い。
しかも規模が大きいようだった。

動物病院に預けた愛猫が心配やから、余震が続く中、車を走らせ愛猫を迎えに向かった。

信号機は消えている。
ただ地震の多い地域でさすがに地震慣れしている人が多いからか、お互い譲り合って上手く車は流れていた。

余震で車が何度も大きく揺れる。


動物病院では、自家発電で一部だけ電気がついている場所で愛猫が手作業で毛刈り中だった。

動物病院でお世話になっているスタッフの無事を確認した後、動物病院の先生に
『ちょっと今は毛刈りしてる場合じゃなさそうなので、今日は一旦中止して、また後日続きをお願いします。』
と申し入れ、愛猫を引き取った。
中途半端やから愛猫はちょっと虎刈りみたいになっていた。

動物病院の先生達とやり取りをしている最中もやや大きめの余震が続く。


愛猫を引き取った帰りの車内では携帯のワンセグでは津波が押し寄せて大変な事になっている街を放送していた。

以前、何度か写真を撮りに行ったりしている見慣れた市内の港にも津波が押し寄せて、漁船が次々に陸に押し上げられてゆく。
人が乗ってると思われる車までも…。


大きな余震が続いていて何度か強い地震を受けている家にいる方が危険な感じだったので、
愛猫を連れて、父の経営する会社に向かった。
途中、信号が止まってるからか事故を起こしている車があった。
また大きめな交差点では、ちょっとガラの悪そうな兄ちゃん達が数人、恐らく自主的に交通整理をやっていた。

信号が無い中、気をつけつつ街に着くと、警察官が車に向かって走ってきて、
『この先のビルの壁が崩れそうだから行くなら早く行ってくれ』
と、まくし立てるように言う。
気づかない内に通行止めになった通りに侵入してしまっていた。

恐る恐る壁が崩れそうなビルの横をすり抜け、会社に着いた。

父と社員が店内を掃除していたが意外と店内は荒れていない。
父が言うには以前の大地震に比べたら被害は少ないとのこと。
怪我人がいないか人手が必要かを確認し、会社は大丈夫そうなので、
愛猫を車に乗せてる事もあり、大きな余震が減るまで父の実家の駐車場に戻って待機した。

駐車場の両側の壁が余震で大きく揺れるので、壁から離して車を停め、暫く愛猫と車にいた。

辺りは次第に暗くなっていく。
携帯のワンセグは明らかになっていく被害状況を伝えていた。

父が帰宅し、愛猫を連れて家に入る。
真っ暗なので携帯のカメラ用ライトを点灯して、スリッパを履いて居間に向かった。

俺が最初いたところや台所は割れた食器などが散乱していた。

愛猫は毛刈りされて寒そうなので停電で床暖房が消えてしまい冷え切った居間で愛猫をずっと抱いていた。

父は祖母のいるマンションで一夜を過ごすと言うが(実際には父はマンションの駐車場で一晩を車の中で過ごしたらしい。)、
俺は愛猫を置いては行けないし、愛猫のトイレや食事のことを考えて一人父の実家に残る事にした。

とにかく真っ暗で頼りになるのは携帯のカメラ用ライトだけ。
居間のあちこちを探して、非常用のランタンを見つけて点けてみる。
幸いランタンには電池があったので、それを椅子の背にかけて椅子の上には
万一の際にすぐに持って出る為の必要最小限のものを置いて、その横に愛猫の外出用ゲージも置いて備えた。


ワンセグやライトで携帯に頼りっきりだったので携帯の電力消費を抑える為に、超小型FMラジオも持ってきた。

FMラジオで気になる情報があるとワンセグをつけて確認といった感じで使い分けた。
服装もいつでも逃げられるように外出時と同じ服装のまま一夜を過ごした。

愛猫も怖かったのかずっとしがみついていた。
時折、起こる余震の度に愛猫を撫でてあげながらFMラジオとワンセグで情報を得ながら一晩を過ごした。


翌朝、明るくなってから丸1日フル活用して電池が一本になった携帯を車で充電。

携帯は予想通り、最初に一部に安否のメールを送って以降、全く繋がらなくなっていた。
災害用伝言板にすら繋がらなかった。

停電で止まった冷蔵庫の中にコンビニで買ってあったスープパスタがあったので、
朝は本来レンジで温めて食べるスープパスタをそのまま食べた。

麺が硬く不味い。


昼間は物置になってる部屋の片隅にあった灯油ストーブでお湯を沸かし、カップラーメンを食べた。

後に電気を使う発火装置をライターで補えばガスも使える事が判った。

夜やっと(それでも他の被災地に比べたらかなり早いけど)電気が復旧し、携帯が徐々に繋がり始めた。
繋がった瞬間、緊急用の市内のメルマガと家族や仲間達からのメールがいきなり99通届いた。
この時メールを送ってくれた日本中の人達のメールを読みながら
自分にとってほんまに大切な存在をつくづく再確認した。

『大丈夫?何かできる事があったら言って』という皆の言葉自体が既に充分過ぎるくらいありがたかった。

返信はまだ混み合っていて出来なかったので、皆に連絡が出来るようになったのは結局地震から2日後になった。


地震後一週間はだいたい1時間に5~6回は大小様々な余震が続いた。

地震直後の行動は割と冷静に動けたし無事だったけど、
地震の規模が大きく当初から危惧していた物流の麻痺が次第に深刻になってきていた。

近所のスーパーは恐らく北海道経由のまともな食料品が並び始めたけど、コンビニはガラガラで、
真夜中から一部のガソリンスタンドでは車が行列をつくっている。

阪神淡路大震災の時も大阪でミネラルウォーターやお茶、電池などが店頭から消えたけど、
今回は品不足で小売り店やコンビニ自体が閉め始めているような状況だった。

大きな被害は無く無事ではあったけどとにかく食べ物の確保ができるかが不安だったのを覚えている。


津波の被害を受けた場所に行ってみたのはそれから暫く経ってからだった。

震災後、同じ市内でも大津波で酷い被害を受けていた沿岸部には近づかないようにしていた。

余震による津波の可能性も0ではない事や、ガソリンの入手が困難だった事、
何より野次馬みたいな真似をして復興作業の邪魔をしたくなかったからや。


しかし、道路が復旧し普通に一般車が行き来しているという話を聞いたので、完全に何もかもが撤去される前に、
自分の目で津波の被害を見ておこうと思った。


巨大な漁船が横たわり道の一部を塞いでる箇所も幾つかあり、鉄柱は飴細工のように曲がり、フェンスは枯れ草のように倒され、ブロック塀まで崩れていた。
一見無事に見える鉄筋コンクリートの建物も1階は空っぽ。


元々海沿いは工場地帯や漁港で、お世辞にも丈夫そうには見えない建物が多かったんやけど、
そういう建物は跡形も無くなりさら地になっていた。


割と景観に優れる砂浜などは砂が流されて波打ち際がかなり陸寄りになって大きくその姿を変えていた。

岩礁に生えていた木や草も一部は無くなり岩場だけが残されていた。


カメラは普段から鞄に入れてるし、携帯も当然ながら持ち歩いているけど一枚も撮れないままやった…。

車を停めて撮ろうと思えば撮れなかった訳やない。

けど漁船一隻を見てもそこには漁師さん達の想いがあるはずでそんな事を思うとシャッターは押せなかった。

普段退廃的な物に何かを感じて撮る事もあるけど、俺はジャーナリストではないから
津波の被害の惨状を撮る気分にはなれなかった。

そういうものを後世に残すのはそれこそジャーナリストが残していけば良い。

ただ、テレビだけやなく自分の目で見ておいたのは間違いやなかったとは思っている。


震災による被害は我が家に関してはそれほど大きなものではなかった。
放射性物質自体も関西と同等程度で関東各県より少ない数値らしい。

けど、緊急時に何が必要でどのような行動をすべきなのかはこの震災を始めとした、
過去に経験した幾つかの大地震を目の当たりにして見えてきたように思う。

福島みたいに近くの原発が事故を起こすような事態になればどうすることも出来ないけど
少なくとも何も経験した事の無い人よりは冷静に的確な行動が取れると思う。

長くなったけど、これが俺の震災経験の概要です。

万一の備えに何か少しでも参考になる事があれば幸いです。

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( 2012.02.26 ) ( 未分類 ) ( COMMENT:0 ) ( TRACKBACK:0 )
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